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Re: 『収容所から来た遺書』を読み

 投稿者:管理人  投稿日:2016年11月11日(金)23時01分7秒
返信・引用
  糟屋  さま

管理人です。

はじめまして しばらく放置しておりましてお返事が大変遅くなりました。
申し訳ありませんでした。

>亡父が満州で応召、シベリア抑留経験者でした。過酷な経験については多くを語らず、私も聞かないままでした。今頃になって父を理解したいと思うようになり・・・

      ↑
そうですか、大概どちらの家族様も皆同じような事を仰られています。
わたくしも糟屋様と同様でございます。
お父様は何年抑留されたのでしょうか・・・




>今頃になって父を理解したいと思うようになり関連本を読み漁っています。
         ↑
そうですか。もしよろしければこちらの書籍もお勧めです。
               ↑
古い本になりますが『ソ連獄窓11年』講談社 前野茂 4冊でワンセット
『ソ連強制収容所』 評伝社 榛葉 英治(しんば えいじ)

どちらも絶版ですがインターネットの古本で見つける事が出来ると思います。
ヤフーのオークションでもたまに出品されています。


これからは残された遺族や子孫で受け継いでいかねば成らぬ事と思います。

差し支えなければ  kro9630@khh.biglobe.ne.jp までご連絡いただけましたら幸いです。
もちろんココの欄でもかまいません。
ただ個人情報の事も有りますので・・・


朔北会とは別ですが先日の平成28年11月3日、東京の千鳥が淵にて同じく抑留された人達の『東京ヤゴタ会』という会の慰霊祭がありました。
遺族や二世三世など、関係者や関心を持つ人達が受け継いでおります。

まだ抑留された肩でご健在の方がいらっしゃいます。

色々情報の交換が出来ましたらと思い居ます。

また何かご不明な事やお知りになりたい事でお力になれるかもしれませんので
今後ともよろしくお願いいたします。
                                         管理人


 
 

『収容所から来た遺書』を読み

 投稿者:糟屋則子  投稿日:2016年10月17日(月)21時51分45秒
返信・引用
  表題の本を読んで感動し、この会の存在も知りました。亡父が満州で応召、シベリア抑留経験者でした。過酷な経験については多くを語らず、私も聞かないままでした。今頃になって父を理解したいと思うようになり関連本を読み漁っています。目を覆う過酷と理不尽。戦争が抉り出す人の醜さ。けれどそんな中にも尊厳を守った人達や、遺骨収集などの活動を通し犠牲者の魂を鎮めるべく力を尽くしている方々の崇高さに救われる思いです。  

Re: ケンギル反乱事件

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 8月 1日(土)14時27分8秒
返信・引用
  草原の小鷲さんへのお返事です。


草原の小鷲さん

はじめまして

kro9630@khh.biglobe.ne.jp

此方までお電話番号等お知らせください。

折り返しご連絡いたします。

    管理人
 

ケンギル反乱事件

 投稿者:草原の小鷲  投稿日:2015年 7月31日(金)23時46分9秒
返信・引用
  はじめまして。

かつてカザフスタンを訪れた際、カラガンダ州ジェスカズガンという町に行きました。
市内の歴史博物館で、シベリア抑留後期にあたる1954年に当地の郊外にあった特殊収容所で
起こった、数千人の囚人たちによる反乱事件についての展示コーナーを見つけました。
館長さんの話では、その反乱事件に日本人抑留者も参加していたと聞いています。

かつて朔北会にいらっしゃった黒沢嘉幸氏が書かれた『禿鷹よ、心して舞え』という本や、
古い本ですが、弥益五郎氏が書かれた『ソ連政治犯収容所の大暴動』という本も読み、
自分なりにこの事件について調べてみたのですが、この事件に参加された日本人の元抑留者の
方からお話を聞くことができておりません(ロシア人の元囚人の方には話を聞けましたが)

遅すぎるかもしれませんが、もし可能であればこの事件を知る元抑留者
もしくはそのことを知るご遺族や関係者の方に、直接お話を伺ってみたいと思っています。
1954年の事件ですので長期抑留された方をあたるしかないと考えているのですが、
どなたかこの事件をご存じの方にお心当たりはございませんでしょうか。

突然の長文失礼致しました。
 

Re: 管理人様

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月27日(土)20時30分17秒
返信・引用
  > No.23[元記事へ]

山本尚さんへのお返事です。

> 県庁での手続き詳しくありがとうございました。

       いえいえどういたしまして!

山本さん

もし宜しければ kro9630@khh.biglobe.ne.jp

此方へお知らせ頂く事は可能でしょうか・・・

掲示板ですと色々不特定多数の方に個人情報が知られてしまいますので

別でお話が出来ましたらと思うのですが・・・

                    管理人
 

管理人様

 投稿者:山本尚  投稿日:2015年 6月26日(金)16時59分27秒
返信・引用
  仕事が忙しく暫く見ておりず申し訳有りませんでした。

県庁での手続き詳しくありがとうございました。

特務機関の集合写真は、戦前の物で、裏に牡丹江と書いてあったように思います。
写真は、中央に機関長らしき方、左右に佐官クラスが並び、学校の集合写真のように横並びで、何列も並んでいます。父は後ろの方に立っていました。
父は、「牡丹江に居た」と言ってましたので、多分、昭和17年~18年位の牡丹江特務機関の集合写真ではないかと思います。この写真は、復員後に朔北会で焼き増ましてもらったものだと思います。
この写真は、どこかにしまいこんだようですので探してみます。

父が満州国共和会の共和服を着た写真は手元に有ります。

 

山本尚さま

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月12日(金)13時52分20秒
返信・引用
  > No.20[元記事へ]

忘れてましたで付け加えますです。

>父の関東軍時代の経歴やシベリアの収容所ではどこに居たか等調べる方法は有るのでしょうか?

此方の件ですが愛知県の健康福祉部地域福祉課にて調べる事が出来ます。
これは戦争中の住所があった場所にてのみなので
もし戦争中の住所が他県でしたらそちらの県庁で調べられます。

愛知県の場合必要な物

お父様の名前・本籍(終戦時)・部隊名・申請者の身分証明書二種類
それに申請する者と血縁で戸籍で証明できる物(注、愛知県の場合ですが申請は孫までしか出来ないようです)

付け加えますとこの要領で得た情報は当時厚生省が聞き取りその他で記録した物で
当時はドサクサの混乱の中での情報収集であった事や
本当の事を隠して喋らなかった抑留者は沢山いました。
なぜならば赤に染まったと批難されたりを恐れた為と思われます。
特に特務機関出身の方は戦後も何が降り掛かるか分からずで多くを語りませんでした。

これは決して悪い事をしたからとかではな(旧ソビエトが抑留者が日本に帰還後もその行方や家族構成と職業なども追跡調査をされていたからだと思います)。

また現に当時の厚生省の情報が全く間違った・・・というより作り話や捏造といわれる事までが公式に調書として今でも保管されています。

生きている人間が死んでいる事になった事例も有ります。

でも現厚生労働省は決してこのような場合の訂正はしません。
日本の役所は一度出した調書や結論は修正しないですね!
 

Re: 父・山本享

 投稿者:管理人です  投稿日:2015年 6月 2日(火)21時01分28秒
返信・引用 編集済
  > No.20[元記事へ]

山本さま  はじめまして!

管理人です。
父も特務機関でした。
私の父と同じ昭和31年12月船の興安丸で帰還ですね。
>瀬島さんとは、同じ収容所に居た・・・
という事は私の父とも一緒です

その同じ船にて帰還の元兵士がまだ健在の方がいます。
何かご存知かもしれません。
大竹さん含め聞いてみます。

お持ちの特務機関のお写真を一度拝見させて頂きたいです!
多分戦後の写真と思うのですが私の父も一緒かもしれませんね。

今度ごいっしょに元抑留者さんに尋ねてみませんか!
福島にご健在の方です・・・



 

父・山本享

 投稿者:山本尚  投稿日:2015年 5月26日(火)16時14分4秒
返信・引用
  15年程前に亡くなりました父・山本享(やまもとまこと)(愛知県豊川市出身)が朔北会会員でした。
父は関東軍特務機関員で、昭和31年12月にシベリアから復員しました。
子供の頃、シベリアの話を聞きましたが、詳しい記録等は何も書き残しておりません。
特務機関時代の集合写真が残っております。
瀬島さんとは、同じ収容所に居たそうです。
愛知県一宮市の大竹さんという特務機関の同僚の方と親しかったことを覚えています。

大竹さんは、中野学校出身だったかも知れません。
父の関東軍時代の経歴やシベリアの収容所ではどこに居たか等調べる方法は有るのでしょうか?
 

Re: 父杉浦(中村)了介について

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月 2日(木)00時55分46秒
返信・引用
  杉浦さま
はじめまして、管理人です。

私は亡き父の代わりであり、また当会の執行委員の方々の要望で此方を立ち上げました。

当ホームページはお父様の所属しておられました抑留者団体そのもので御座います。

朔北会 (さくほく会)と申します。

さて、私は林さんが亡くなられたのは実は一年ほど前に知りました。
葬儀にも参列出来ずで残念です。

>ダーティな体験・経験なのか私が関心を示さないためか、余り多くを語らず・・・

私の父もそうでした。
本当の苦しみは多くは胸の中に仕舞い込んでいました。
また、話そうにも背景が複雑すぎて聞き方の予備知識がそれなりでないと理解が困難
であった事も理由の一つと思われます。



現在私が連絡をとれます元抑留者はすでに数人になってしまいました。
その他ここ数年で亡くなられた方は数名おりまして寂しい限りで御座います。

今年の5月叉は6月頃に福島県の父の95歳のお仲間にお話を聞きに行くツアーを計画しようと考えております。

もし宜しければごいっしょに如何ですか!

朔北会名簿で杉浦(中村)さまの確認いたしておりますので
数日後お電話を差し上げ致します。


現在抑留者の事をあまり国が騒ぎ立てるような事を外交摩擦を恐れて政府は積極的に言いません。

そればかりか有りもしない慰安婦問題や南京問題も一人歩きをして今日大変な問題となってしまいました。

朔北会と致しましてもこの件は大変な名誉既存問題で有ります。

残された子孫で何かできる事が有ると思います。

よろしくお願い致します。

尚、この掲示板は不特定多数の方に開放しております都合上詳細は後日、
別にてお知らせいたします。

よろしくお願い致します。

                    管理人

 

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