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神田先生へ:
> ろう者、聴者、難聴者を問わず)使用者が日本語を意識しつつ手話表現する場合、2つのケースが
使用者の母語が日本語な場合に限定すると、この「2つのケース」は区別されなければ
ならないのかどうか、というあたりが疑問なのです。
対話しているの双方が、自身も相手も「日本語が母語」「手話の知識が充分」であることを
理解していて、「音声だけでは対話できない」状況下にあるとします。
このとき、なるべく双方が「楽に」対話できるよう、口話のみ、口話の一部に手話を付ける、
口話のほぼ全部に手話を付ける、ほぼ全部に手話を付けるた上で一部の口話を省略する、
ほぼ全部に手話を付けるた上で大半の口話を省略する(≒手話のみ)、といった話し方の間を
行き来します。
こういう対話を日常的に繰り返していると、上記の「口話のみ」から「手話のみ」への
連続的な変化のどこかに、日本語と日本語ではない言語との境界がある、というようには
考えにくいのですが。全部、日本語のつもりで話しているので。
ただし、「結果的に手話が並んでいるだけ」であっても、「日本語を話している」意識の下で
手話を並べていることと「日本手話」的なものを意識して手話を並べることとの間には、違いを
感じます。
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