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私信失礼します

 投稿者:ポンジュース  投稿日:2008年11月20日(木)11時35分5秒
  いつもメルマガ発信、お疲れ様です。
早速ですが私信、失礼します。

年賀状が欲しい(というか、写真ってどんな?気になる)ので
事前に予約させていただきます♪
 
 

ろう文化2

 投稿者:m902  投稿日:2008年10月22日(水)00時50分57秒
  単語だけろう学校手話から借用して、構文は日本語のままでの手話をそれは手話ではないと言う人たちがいるようです。

言葉は生き物であり、時代によって表現、用法、意味が移り変わっていくことは、ごく自然なことかと思います。
それにもかかわらず、あくまでろう学校で取得した手話にこだわる方たちがいることが私には理解できない。

ろう学校出身者で、日本語の読み書きが苦手な方も少なからずいらっしゃいます。
音声と文字は1対1の関係であり、「あ」と表記される文字を「が」と発声することはありません。「あ」と表記される文字は「あ」と発声されなければ日本語を取得できない。
聞こえないゆえに、表記文字と発声を一致させることの困難さはあるでしょう。

しかし、日本の社会で生きて行くならば、最低でも日本語の読み書きは必須でしょう。
ろう学校出身者はろう学校手話とろう学校文化を主張するよりも、日本の社会の一員として、最低限の日本語の読み書きを覚えるべきではないかと思う。

ろう学校出身者が、健聴者にろう学校手話を覚えてくれと言ったり、手話通訳の充実を求めるばかりではなく、ろう学校出身者側も、日本語の読み書きを覚え日本の社会、日本語の読み書き日本語文化を知るべきではないでしょうか。
ろう学校出身者による一方的なろう学校文化を主張されても説得力はない。

日本の国籍をもち、日本の行政から障害年金を受給しているろう学校出身者が、「ろう文化宣言」を主張しても甘ったれていると受け止められるだけではないでしょうか。
ろう文化=ろう民族と言うなら、日本の行政の助けを借りることはあっても、日本国民の税金による障害者年金の返還をしてからにしてもらいたい。
あるいは、聴力検査にて正直に聴覚レベルの測定をして、聞こえない振りによる障害者等級の底上げを止めるべきです。(私の知り合いのろう学校出身者のほとんどが、聴覚検査で聞こえない振りをすることにより、障害者年金を受給できる等級を獲得していると自慢しています)

ろう学校手話を広めるプログラムは大いに結構です。
しかし、それならばろう学校出身者側にも日本語の読み書きを覚えてもらうプログラムも作成しなければ、日本の実社会から疎外されたり、筆記による理解不足も致し方ないことではないでしょうか。日本の社会の中で経済的基盤を得るためには、職務上の指示なり情報伝達を理解する必要があります。それはほとんどの場合日本語の文章によるもののはずです。
日本語の読み書きを覚える努力もしないろう学校出身者によるろう学校文化なんぞ、実社会ではろくに相手にされないし、理解もされないのではないかと思う。

願わくば、ろう学校出身者側からの日本社会への歩み寄りが行われるように、日本の実社会を学ぶべき場を設けられるプログラムの作成し、相互理解の促進が進むことを祈ります。
 

ろう文化

 投稿者:m902  投稿日:2008年10月17日(金)00時17分3秒
  神田様へ
私の書き込みは質問ではなくて単発の意見表明でしたが、わざわざご返事いただきましてありがとうございます。

確かに文化の定義にもよるという神田様のご意見には共感いたします。
以前の書き込みに対する補足ですが、ろう文化というものは確かに存在するでしょう。

しかし、ここで言う「ろう者」とは二つの意味があります。
一つ目に、単に「ろう」といえる程の聴力損失があるという医学的基準による「ろう者」(高度難聴者や中途失聴者を含む)。

二つ目にろう学校出身者のコミュ二ティ(ろうあ協会等)に所属する「ろう者」。

おなじ「ろう者」であっても上記のとおり2種類の「ろう者」がいるように感じられます。
日本手話やろう文化といったものを標榜する人たちは二つ目のろう学校出身者と彼らに共鳴、影響された手話学習者がほとんどです。

ゆえに私は日本手話をろう学校手話、ろう文化をろう学校文化、と位置づけてもよいのではないかと考えるようになりました。
ろう学校出身者によるコミュニティはろう学校の先輩後輩の関係がメインであることは明白かと思われます。つまり、非常に狭いコミュニティです。
一般の学校でもその学校独自の気風、校風というものがあります。
人数が少なく、ろうと言えるかどうかさえべつとして、聴覚障害だけで集まる学校が独自の校風なり気風なりを涵養することは想像に難くないでしょう。
ろう文化がろう学校を中心としたろう学校文化をコアにしていても当然ではないかと思います。

さしずめ、一昔前のろう文化宣言はろう学校文化宣言、もしくはろう学校学閥宣言、ろう学校出身者至上主義宣言とでも受け止めて差し支えないのではないかと思うに至りました。

手話にも地域ごとの方言があるというより、ろう学校ごとの表現の違いと受け止めております。

上記の点から、ろう文化というものの本質は医学的基準におけるろう者の文化ではなく、ろう学校出身者による文化、言い換えればろう学校文化なのではないかの思いを強くしております。

ろう文化宣言により、日本手話とかろう文化とかよばれるようになり、ろう学校出身者がある意味で、独自の言語と文化を持つ「ろう民族」とでも言いたげな主張には違和感を覚えました。

人種的には日本人であり、日本の行政から障害者年金を受け取り、日本の社会で暮らすのならろう文化宣言というのは日本の社会に馴染まないものだと思います。

ゆえに、ろう文化や日本手話という言い方にも違和感を覚える。
そういう個人的な意見を言いたかったのです。
 

私なりの回答

 投稿者:神田和幸  投稿日:2008年10月 8日(水)20時47分27秒
  ここの掲示板をお借りするのは徳田さんに申し訳ない気がしますが、ご質問をいただいたのでお答えしたいと思います。

m902さんへ(ご質問ではありませんでしたが)
文化をどう定義するかですが、私はミードの「文化とは人間の行動様式」という定義が好きです。そして同一文化を共有する集団をコミュニティと定義します。すると、日本文化という大きな集合の下に、地域文化、性(男女)文化などの下位文化があり、障害者文化があると思います。韓国系日本人の文化もあるでしょう。ろう文化はそういう下位文化だと考えています。聴覚障害だけだと世界共通な現象で、確かにそういう行動様式もありえますが、私の観察した範囲では、「日本のろう」文化だと思います。同じろう者でもろう学校卒業生と普通校卒業生では文化が違うように感じます。

末森さん
>「ASL-PSE-MCE連続体」という概念と,「日本手話/中間型手話/日本語対応手話」とい>う状況把握は同じようなものと捉えてよろしいのでしょうか?

違うと思います。日本にMCJが存在していないように思います。栃木校の同時法がそれを
目指していたように思いますが、どの程度成功したのでしょうか。そして今でも継続されているのでしょうか?聞いたところでは「中間型」がほとんどだそうですが。
言語連続体という意味では同じ概念ですが、中身は日本型だと思います。

>また神田さんが「中間型手話」と「日本語対応手話」という語句を用いられるときは,両>者の概念をどのように区別しておられるのでしょうか?
混乱するので私はできるだけ使いたくないと思っています。ですから「いわゆる」とか「」
付けにして、世間で使われている意味で、というニュアンスを表現しているつもりです。

北欧ですが、私が留学していた1990年代は手話を区別していませんでした。そもそも
聴覚障害者の認定基準はかなり低く30dBぐらいから障害ありと考えるようです。子供であれば少しでも障害が見られたら、音声言語チャンネルと手話チャンネルを並行させ、子供が選択するような環境を与える、という考え方です。同じ子供が状況により、どちらかを選択したり、併用することもあるので、それを大人側が制御しない、ということです。
実用主義というか、アメリカのような民族主義を批判していました。というのは北欧の国々は小国なので、別の意味で民族性が大切なのです。ですから例えばデンマークの公用語は
デンマーク語とデンマーク手話ですが、英語も使えますし、ドイツ語も使えます。ろう者はデンマーク手話だけでなく、デンマーク語や英語も使えます。英語をとても上手に話す
ろうの高校生と出会って、私は非常にショックと感動を覚えました。最初、聾者だとわから
なくて普通に英語で話してました。なんと私の日本英語の唇が読めたのです。むろん、この子は英才教育を受けた天才少女だったのですが、それにしてもすごい、と思いました。
日本では英語が口で読めて話せるろう者など考えもしないでしょう。日本語だけで精一杯。
それが日本の聾教育の実力でもあります。

だみあさんへ
いまどういう言語を話しているのか、という意識を探るのはなかなか大変ですが、
たとえば英語と日本語の混交を使用している場合を想定してください。コードスイッチング
というのですが、これは明確にきちんとスイッチしているのではなく、あるところかスイッチするとかんがえられています。
「ねえ、ゆうべテレビ見た?Catherline Zeta Jones ってShe is more than beautiful.
She is so sexy, isn't she?」「Ya, she is. でも最近Luxのコマーシャルでてないよね」
こんな感じで、あるキーになる単語でスイッチするらしいです。

> 対話しているの双方が、自身も相手も「日本語が母語」「手話の知識が充分」であるこ>とを理解していて、「音声だけでは対話できない」状況下にあるとします。

この場合もコードスイッチが起きる可能性があります。口話日本語とピジン手話が文の途中や会話の途中でスイッチしてもおかしくありません。本人たちは自分たちでもどこでどう
変わったのか認識できないでしょう。

>全部、日本語のつもりで話しているので。
本当にそうなのでしょうか?日本語だといつも意識しつつ話されているのですか?
普通は何も意識しないと思います。外国語でも、長い間使っていると、とくに意識しなく
なります。「自分の言語」になった後は使用を意識しないのが普通だと思います。
私にとって手話は第3言語ですが、それでも時々、自然に手が動いていて、それはジェスチャではないのですが、自分的には無意識にジェスチャーのように使っているのだと思います。「かまわない」とか「7人」など、つい出てしまいます。

長々と、そしてお待たせして申し訳ありませんでした。
 

生成語彙

 投稿者:神田和幸  投稿日:2008年10月 8日(水)20時10分22秒
  今回の内容はとても言語学的にもおもしろかったです。今、私が研究しているのは手話の形態論なのですが、手話を単語という視点でなく形態素という視点から解析すると、似たような考えにたどりつきます。自然言語処理が音声言語の形態素処理で成果を上げられたように、これまでの統語論主体の言語研究でなく、形態論中心にしょうという流れが欧米でもあります。言語学も変わってきているのです。  

日本の手話について

 投稿者:まつだ  投稿日:2008年10月 7日(火)17時08分59秒
  日本の手話に対してどのような研究を行っているかは分かりませんが、する側と見る側で解釈の仕方や読み取り方は変わるように思います。コミュニケーションは完全ではないので。言葉の構築や理解する際の判断材料など、文法だけでなく、理解する際のそれぞれの傾向をデータとしてつくり、平均化すればなにらかの判断材料になる気がします。まだ推測ですが。。ただ、このデータよってはみんなに直感的に、平均的に伝えやすい手話を目指すといったことは可能になるのかなと思う次第です。  

日本語の手話表現

 投稿者:だみあメール  投稿日:2008年10月 6日(月)18時47分22秒
  神田先生へ:

> ろう者、聴者、難聴者を問わず)使用者が日本語を意識しつつ手話表現する場合、2つのケースが

 使用者の母語が日本語な場合に限定すると、この「2つのケース」は区別されなければ
ならないのかどうか、というあたりが疑問なのです。

 対話しているの双方が、自身も相手も「日本語が母語」「手話の知識が充分」であることを
理解していて、「音声だけでは対話できない」状況下にあるとします。
 このとき、なるべく双方が「楽に」対話できるよう、口話のみ、口話の一部に手話を付ける、
口話のほぼ全部に手話を付ける、ほぼ全部に手話を付けるた上で一部の口話を省略する、
ほぼ全部に手話を付けるた上で大半の口話を省略する(≒手話のみ)、といった話し方の間を
行き来します。
 こういう対話を日常的に繰り返していると、上記の「口話のみ」から「手話のみ」への
連続的な変化のどこかに、日本語と日本語ではない言語との境界がある、というようには
考えにくいのですが。全部、日本語のつもりで話しているので。

 ただし、「結果的に手話が並んでいるだけ」であっても、「日本語を話している」意識の下で
手話を並べていることと「日本手話」的なものを意識して手話を並べることとの間には、違いを
感じます。
 

北欧諸国の状況

 投稿者:末森明夫  投稿日:2008年10月 3日(金)07時55分24秒
  神田さんの再度のご教示のほどをお願いいたします。

>アメリカでは言語と民族は一体という主張なので、ピジンのような混交言語を
>認めたがらない風土があります。(中略)
>つまりろう者の力が強くなり、手話はASLしか認めない、
>という信条を共有しているとご理解ください。

米国の事情はあらかた承りましたが,北欧諸国では手話の区分ないしはいわゆる音声言語対応的な手話表現に対する動向はどのようになっているのでしょうか?

==
 

手話の区分

 投稿者:末森明夫  投稿日:2008年10月 3日(金)07時50分16秒
  神田さんにいろいろとご教示頂き痛み入ります。

多忙を極める神田さんに重ねて質問を行うことになり恐縮の極みではありますが,せっかくの機会でもありますので何卒よろしくお願いいたします。


>ASL-PSE-MCE連続体は1980年代の考えで(後略)

>日本手話使用者は少数で、いわゆる日本語対応手話ないし中間型手話の使用者
>が多数という現状を見ると、両者をひとまとめにして「日本の話」(Japanese
> sign languages)というのがよいように思います。

「ASL-PSE-MCE連続体」という概念と,「日本手話/中間型手話/日本語対応手話」という状況把握は同じようなものと捉えてよろしいのでしょうか?



>日本手話使用者は少数で、いわゆる日本語対応手話ないし中間型手話の使用者
>が多数という現状を見ると、両者をひとまとめにして「日本の手話」(Japanese
> sign languages)というのがよいように思います。

また神田さんが「中間型手話」と「日本語対応手話」という語句を用いられるときは,両者の概念をどのように区別しておられるのでしょうか?

==
 

日本手話=ろう者=ろう文化

 投稿者:m902  投稿日:2008年10月 1日(水)17時40分15秒
  日本手話=ろう者=ろう文化と言われて久しいですが、ろう文化や日本手話といわれているものは、実は存在しないのではないかと考えていたりします。
あくまで個人的な意見としてですが、聴力損失による文化や言語がありえるのなら、中途失聴者や高度難聴者をどう扱うのか、また彼らの使う手話をどう捉えるのかと言った問題にもなるかと思います。

ろう者が使う手話は単にそのろう者が通ったろう学校内でのコミュニティツールとしての言語にすぎないし、ろう文化などと言うものもその内実はろう学校文化に過ぎないのではないかと考えてます。
各地のろう学校で自然発生的に誕生した手話をひとくくりに日本手話というのも乱暴な話ではないかと。

聴力損失が高度であれ軽度であれ、ろう学校に通い手話を覚えればろう者となり、ろう文化となると言うのはいささかこじつけのような気もします。
 

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