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(無題)

 投稿者:神田和幸  投稿日:2008年10月 1日(水)17時34分45秒
  まず、だみあさんのご質問についてお答えします。(なんだかQ&Aみたいですが)
日本語対応手話というのは元々固有名詞として命名されたのですが、それが普通名詞化する過程で意味が広がって、各自が勝手な解釈をするようになってしまいました。

(ろう者、聴者、難聴者を問わず)使用者が日本語を意識しつつ手話表現する場合、2つのケースが考えられます。1つは知っている手話単語を並べていくもの、これは使用者本人が「手話で話している」という意識があります。これはピジン手話です。2つ目は口話(発音してもしなくても)を中心にして、時々手話を混ぜるもの、この場合、使用者は日本語で話しているという意識があります。これは手話付口話(Sign Supported Speech=SSS)と呼ばれるものです。両者は表面的には似ているので区別しにくいです。
わかりにくいので英語の例を考えてみましょう。
ピジン英語だと You は me を love ね?あるいはYou, me, love?(Do you love me?)
SSSは英語と日本語では存在しえないのですが、例えとして ユーはミーをラブしているの?こんな感じです。

末森さん、お久しぶりです。

ASL-PSE-MCE連続体は1980年代の考えで、多くの手話学者、ろう者は間違いだといいますが、今でも正しいと考えている人もいます。間違いという理由はASLはろう者の言語、MCE
やSigned EnglishはSimComと同じで、聴者の表現だという理由だからです。アメリカでは
言語と民族は一体という主張なので、ピジンのような混交言語を認めたがらない風土があります。
アメリカではASLに対しては科学的言語研究が進められています。しかし、PSEには関心がなく、聴者の手話を軽んずる傾向があります。複合言語文化国家でありながら、同化主義の伝統も根強く、バイリンガル教育も憲法でありながら実践がうまくいってないのも事実です。
手話については個別言語として認め、手話による教育は憲法に保証されているので、ろう学校では手話教育をしています。手話通訳はその延長線にあるため、ASLであることが当たり前であり、上手か下手か、というレベル分けに関心が行きます。
つまりろう者の力が強くなり、手話はASLしか認めない、という信条を共有しているとご理解ください。

>「日本手話=ろう者=ろう文化」という思想が広まってしまった現況の是正を図るためには何をすればいいのでしょうか?

日本はアメリカとは言語事情、社会事情がかなり違うと思います。ろう者(と自分で思う人)の多くは日本手話を母語としていないし、手話人口の多くが聴者である、という事実があります。手話使用者という面から見ると、日本手話使用者は少数で、いわゆる日本語対応手話ないし中間型手話の使用者が多数という現状を見ると、両者をひとまとめにして「日本の手話」(Japanese sign languages)というのがよいように思います。○○語という表現をしたいなら「ろう語」(私は老後みたいで嫌ですけど)というのも一案です。

>また全日本聾唖連盟はこのような現況に対してどのような見解を示すべきなのでしょうか?

運動体としてどう考えるかは、内部で議論されるしかないです。まったくの私見ですが、
以前から「ろう者」「手話」と表現されてきたので、そのままでよいように思います。

日聴紙などでも質問があったようですが、私なら「日本手話もいわゆる日本語対応手話もすべて日本の手話です。(どちらも方言であり、東京弁、大阪弁があるのと同じことです。
東京弁が標準語という訳ではありません)」と答えます。

現時点の手話研究では、日本手話の文法はだんだんわかってきました。しかしNMSだけではないので、ほとんどの人は手話の文法を知りません。知らなくても使用できるからです。
ピジン手話の文法は研究されていないので、「日本語文法と同じだ」と勝手に言っている人がいるだけです。

すみません、いつも長くなってしまいます。
 
 

啓発活動

 投稿者:末森明夫  投稿日:2008年 9月30日(火)07時37分39秒
  下記の件に関する神田さんのお考えをご教示くだされば幸甚に存じます。

>そもそもの誤解の原因は「日本手話=ろう者=ろう文化」という教義を広めて
>しまったことにあります。これは教義、でなければ思想であり、科学的事実で
>はありません。(アメリカでは、複合言語国家なので、ほぼこの教義が信じら
>れています)

「日本手話=ろう者=ろう文化」という思想が広まってしまった現況の是正を図るためには何をすればいいのでしょうか?

また全日本聾唖連盟はこのような現況に対してどのような見解を示すべきなのでしょうか?

==
 

日本語対応手話

 投稿者:末森明夫  投稿日:2008年 9月30日(火)07時34分24秒
  下記の懸案についても神田さんのご教示にあずかりたく存じます。

>そもそもの誤解の原因は「日本手話=ろう者=ろう文化」という教義を広めて
>しまったことにあります。これは教義、でなければ思想であり、科学的事実で
>はありません。(アメリカでは、複合言語国家なので、ほぼこの教義が信じら
>れています)

米国では「ASL=Deaf=Deaf Culture」という概念が支配的であるというように理解してよろしいのでしょうか?

また「アメリカでは、複合言語国家なので、ほぼこの教義が信じられています」
ということは,米国では手話に対する科学的対応がなされていないということに
なるのでしょうか?あるいはASL等の文法に関する科学的研究活動と,聾者・ASLの社会啓発活動が遊離してしまっている状況にあるということになるのでしょうか?

==
 

ASL-PSE-MCE

 投稿者:末森明夫  投稿日:2008年 9月30日(火)07時26分44秒
  下記の件で神田さんにお伺いしたく存じます故,ご高配のほどをお願いいたします。

>ちなみに当時アメリカではASL-PSE-MCEのような連続体をなしていると考えら
>れていました。日本でもそれに習い、PSJをピジン手話と訳したのですが、わ
>かりにくかったのか、無視され、中間型手話という表現が流行りました。

「ASL-PSE-MCE」というような考えは,現在でも米国では有力なのでしょうか?

==
 

会話

 投稿者:つばきメール  投稿日:2008年 9月28日(日)21時10分59秒
  私、某百貨店で和菓子の販売をしております。今日5人グループの聾の方が来られ商品をお買い上げ頂きました。金額提示を手話で致しましたところ1人の方が、「手話が出来るの?」と尋ねられました「少しです、今勉強中です」とお答えしましたら、「うれしい、手話の勉強してくれて有難う」と言って下さいました、有り難かったです。大変励みになります。
レベルの高いお話の中に初心者の話ですが、この気持ち忘れずにと思います。
 

Re:手話の文法について

 投稿者:だみあメール  投稿日:2008年 9月25日(木)01時15分15秒
  日本語対応手話について、中途失聴者として、ちょっと疑問がわきました。

話者がゆっくりとした日本語で話し、
通訳者がそれを、個々の音素レベルで正確な口形を作りつつ適切な手話を表出し、
口形と手話単語の読み取りに熟達した中途失聴者が読み取るのであれば、
元の話者が話したことは、中途失聴者の頭の中で、音素レベルで再現され得ます。
ここで使用されている手話は、日本語対応手話としか呼びようがないし、
ここで使用されている言語は、どう考えても日本語そのものなのですが。

このような例は稀ではありますが、日本語対応手話は、このような使い方も可能です。
中途失聴者としては、このような「通訳」を受けたいと思う状況が存在します。
また、中途失聴者同士でも、このような日本語対応手話で対話することを
あえて選択する場合があります。

一方で、そこまで厳密に日本語の話し言葉を模すのは面倒だ、と感じる状況もあります。
手話単語に比して長ったらしい音声(口形)は省略するし、
部分的に日本手話風の語順や慣用句的なものを使うこともあります。
ですが、この場合でも、日本語とは異なる言語で対話している、という感覚はありません。
日本語の口語と日本語の文語文の差、程度の違いは感じますが。

このようにして日本語対応手話を使っている中途失聴者の、日本語を使っている、
という意識は、言語学的には間違いなのでしょうか?
 

文法は苦手ですが・・・。

 投稿者:Amachan  投稿日:2008年 9月24日(水)23時47分47秒
  いつも、ぼくださんにお世話になっております。
今回のシリーズで日本語対応手話という言葉にちょっと反応して続きを待っていました。掲示板が盛り上がっているということで始めてお邪魔します。
掲示板は、自己責任で、意見交換ができるのですが、つい傍観者になってしまう私です。が、今回は、いろいろ気になりまして発言させていただきます。
私は、聴覚障害者とコミュニケーションをとりたいと思って手話を学び始めました。
手話とはコミュニケーションツール(言語)であって、いろいろなパターンがあるものだと自覚しながら身につけるものだと思っています。「英語の嫌いなお前がよく手話なんて続けられるね」とはるか昔に親に言われたことが今になって思えば一番しっくり来ると思います。
何も知らない年寄り?(昔は若かった)でも言語としてわかってくれていました。
今は形ばかりに追われる方が多いように思います。左右のろう者が違う表現を使っていてもコミュニケーションが取れる。其れが手話の本来の姿であり、わからないことは言い換えながら各々の手話で会話する。それが楽しい会話というものではないでしょうか。
日本手話というよりも昔から使われている表現を理屈だけの「新しい手話」として開発?し、一部の人しかわからないのに広めようとする。手話通訳者は新しい手話ができなければ資格や級が取れない。でも、知らないろう者の手話はまともな通訳ができない。
講師になれないから、新しい手話を必死に覚えようとする年配のろう者。「ろう(あ)」者という表現は古いと否定する壮年の手話講師(ろう者)。挨拶を終えた後、「今の僕の話は読み取ってもらえたかな」と不安そうに聞きに来るろう者に「聞えない人はわかってくれたと思うよ」と答える私。
高齢のろう者が健聴者に気を使うことができなくなり、本来の手話で会話していると、「あの人もぼけちゃって・・」とのたまう通訳士。思わずぶちきれた私ですが・・・・。
難しい文法や研究はお任せしますが、手話はいかに目の前のろう者と会話ができるか、手話のわからない人に思いを伝えたり、会話の仲介をしたりできるかが大切かという原点に戻ってほしいと思うこのごろです。
ぼくたまさんの投げかけは、「ナイスタイミング」と思いました。
で今日のメールフォルダは語ろうかの次に「日本手話・日本語対応手話」を常に話されるKさんのメールが届いております。
長くなって申し訳ありません。では、ぼちぼち
 

NHK教育

 投稿者:つばきメール  投稿日:2008年 9月24日(水)20時42分25秒
  21日の夜NHK教育で放送の聾学校。期待して見ましたが、私が今迄本やDVD等買って読んでいた内容とあまりに似ていたので、制作者はKさん?かと思いました、人工内耳反対、日本手話と日本語対応手話の違い、あの番組で放送する必要があったのでしょうか?NHK教育でありながら根拠のない事柄を流すとは・・・。折角の期待もがっかりでした。  

手話の文法について

 投稿者:神田和幸  投稿日:2008年 9月24日(水)17時28分20秒
  そもそもの誤解の原因は「日本手話=ろう者=ろう文化」という教義を広めてしまったことにあります。これは教義、でなければ思想であり、科学的事実ではありません。(アメリカでは、複合言語国家なので、ほぼこの教義が信じられています)
手話勉強中さんが「文法(的なもの)が、必ずしも聾者の手話に共通しているわけではない」というのは微妙な表現です。文法が共有されていないとコミュニケーションが成立しません。ただし、ろう者間でも異なる文法の手話を使っているのは事実です。使い分けをすることもあります。つまりろう手話も単一言語ではない、ということです。
論理的に考えると「ろう者>ろう手話」であり、十分必要条件の関係にはないのが事実なのですが、教義としては、ろう者=ろう手話、つまり十分必要条件でなければならない、のです。
また、難聴者や聴者が使う、いわゆる”日本語対応手話”にも独自の文法があり、これは日本語ともろう手話(いわゆる”日本手話”)とも別の文法があるのです。それがピジン言語の特徴です。”日本語対応手話”の文法が日本語文法だといういう人がいたら、偽言語学者だと思ってください。似ているのは実詞の語順だけです。その論理が通用するなら、韓国語の文法は日本語文法だというのと同じなのです。
まだ明らかにされていませんが、私は”日本語対応手話”には独自の文法があると考えています。
日本語とろう手話が言語として平等(言語学的には何の意味もありませんが)ならば、ろう手話と難聴手話も平等、聴手話も平等なのです。
ついでに言えばhome signsもJSLも同じ言語なのです。発達しているとか、成熟しているというのは偏見でしかありません。

面倒な議論ですみません。しかし、科学とか学問とはこういう手続きが非常に大切です。
 

日本手話について

 投稿者:手話勉強中  投稿日:2008年 9月18日(木)23時42分32秒
   今回の徳田さんの日本語手話と日本語対応手話のテーマを面白く読みました。

 私は、聾者の話す手話いわゆる聾手話が日本手話であると説明されているような見方に疑問があります。日本手話が聾手話であるならば、私達聴者がネイティブの聾手話を取得するのは難しいといわなければなりません。

 更に聾者の手話はそのろう者の環境・年代・能力によってまちまちであり、統一化・標準化がなされているわけではありません。つまり「これが日本手話だ」といっている文法(的なもの)が、必ずしも聾者の手話に共通しているわけではなく、エリア的・グループ的な方言手話が強いように感じます。

 日本手話の言語定義はもっと広く感じます(神田さんの説明でなるほどと感じました)。最近私は聾者の手話を日本手話といわずに聾手話と呼ぶようにしていますが、聾手話は日本手話の一つという定義を考えるようになりました。現在では難聴者の手話も聴者の手話も日本手話の一つと考えています。現在の世界の英語はイギリス英語以外に、アメリカ英語、イギリス英語、オーストラリア英語、日本英語、またアメリカ英語にも南部英語というように、ローカルイングリッシュを認めていく展開ですが、日本手話も聾手話もあり聴者手話もあり難聴者手話もあり、そこの交流から中間手話もあり、さまざまな立場で手話を認めている形が望ましいのではないか。決して聾手話だけが正解で、聴者・難聴者の日本語対応手話は手話ではないのではなく、みんな手話の特徴を持って認めていくことが必要であると思います。

 手話が言語であるならば、聾至上主義からの手話解釈ではなく、言語学からの研究・分析が必要だと思います。
 

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